Hi Dick /ミュージック・バー『店舗デザイン』

渋谷の道玄坂を上がったところの新大宗ビルの地下にピアノやギター、マラカス、ウクレレなどあるミュージックバーを作った。51年前のことである。

名前の由来は,ディックミネの息子さんがオーナーで、Hi! ,DICK!と気軽にミュージックを楽しめるバーにしたいということでした。

胎内を思わせる天井と壁は曲面にした。

包み込まれた空間に、ピアノの縁がそのままカウンターとなる。丸い空間を形成する球面の天井と壁は、あたかも丸い天空と大地を思わせ、その合わせ目のスリット=地平線はピンクにかがやいている。

音楽や歌の伴奏につれ、照明の変化につれ時間が推移する。明るい空は暗くなり、ピンクの地平線が輝く夕暮れ、夜空に星が瞬き、あたりは暗い夜、1日の終わり、すべて終わる。

当時,曲面のいすがなく、型を作って、ガラス繊維のネットを型にかぶせ、プラスティックを塗り、またガラス繊維のネットをかぶせ、プラスティックをぬる、何回か繰り返して作ったことも楽しく思い出します。

住宅のコンペ

或る日、友達が、どんな仕事をやってるの?と、近くにきたのでよってみた。といって、ショウルームにたづねてきた。

丁度、三菱モンサントの役員室のデザインをやっていて、チークの間仕切りの図面を書いていたのを見せた。その当時、ウォルナットとチークの手板があり、私は、チークのほうが明るくてモダンな感じがしたので、チークを選んだ。

当然、会議用のテーブルも会議用のいすもチークで作り、あしは、スタンダードの猫足であった。カーペットは、打ち込み10段かける10段の純毛で、こちらが指定した色に染めてしかれた。いす張りの布も、龍村の生地見本から選んだ。

図面を見た友達は、3×6と4,8があって、3×6なら、90センチごとに目地を入れて、旨くレイアウトしないと駄目だよ、と注意してくれた。

設計部のチーフ、弾さんからは、引き出しの取っての図面化を頼まれ、皆曲線なので雲形で書いていると、図面はいろんな人が見るからコンパスで描くよう、直径をシテイしないといけない、と注意された。

残業は、毎日で、土、日も出社して、その上さらに家で住宅のコンペもやっていた。住宅のコンペが面白く、友達と徹夜でやったりしてるうち、ついに体を壊して、微熱が取れなくなり、医者に、会社を辞めて、静養するよういわれ、マネージャーの矢吹さんに話した。

矢吹さんは、残念がったが、体が大事だから、しばらく休んだほうがいい、と退社を認めてくれた。

私とインテリアデザイン

2017・03・05

Pacific house japan Ltd.は、日本橋丸善ビルの4階にあり、エレベーターを降りると、直ぐShow roomの入り口があった。

Show roomを入ると、カーテンや、ベッドスプレッド、家具やカーペットのサンプル帳など目に入る。外人のストランドさんが、応対していた。

その奥に、設計室があり、設計室を見渡せる位置に、ケラーさんとマネージャーの矢吹さんのガラス張りの部屋があった。

設計室では、森田良夫さんの机に向かって、3列にデザイナーの机が並んでいた。私は、新入りなのに、Show roomの仕事を担当させてもらい、日本の大手の会社社長の住宅の安楽椅子のデザインをまかされ、デンマーク調の板で構成された椅子をデザインした。

それを見た森田さんは、大変怒って、此処にはスタンダードといって、家具はこの中から選ぶことになっている、といわれた。見ると、全部猫足の椅子だった。

デンマーク調の椅子は、大変喜ばれたそうで、私はほめられたが、森田さんからしかられたときは、近くの喫茶店で大泣きした。

My Blog ”私とインテリアデザイン”

2017 03 02

ブログ開設しました。

インテリアデザインについて、考えていることを書きたいと思います。

私は、日本女子大学住居学科を卒業、卒業した3月にPACIFIC HOUSE JAPAN LTD.というMr.ケラーが社長のインテリアデザインの会社に、見習いとして研修に参加、4月、正社員として採用されました。

大学を卒業したそのつきに、入社し、ホテルニュージャパンのゲストルームで、新しく設計している『ホテルオークラ』の客室のテキスタイルの染める下絵を描くお手伝いをしてました。京都の龍村とか、染物、織物、超一流のメーカーが、その下絵を持って帰って、試作して届けてくれました。

歌舞伎とか、浮世絵、日本古来の伝統の或る紋様です。